発達凸凹BOYとの日常

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発達凸凹BOYとの日常

【アダルトチルドレン】真面目な人が陥りやすい“認知の歪み”…“べき思考”…「私より辛い人なんてたくさんいるのだから」で自分を追い込んでませんか?

アダルトチルドレン 認知の歪み 自分責め べき思考

私がずっと抱いてきた気持ち
「私より辛い人なんてたくさんいるのだから」


よく考えたらこの言葉は
自分自身に向けた刃物その物でした。

今回は私が“ほんの少しだけ”解消できた
“認知の歪み”の話です。




自分より大変な人なんていくらでもいる?


今、毎日生きるのに必死な貴方。


「自分より大変な人なんていくらでもいるから、こんなことで弱音を吐いちゃダメだ」

こんなことを思って毎日頑張ってませんか?


かつての…いや、最近までの私がずっとそんなことを思っていました。


私は、他人に対してはこんなこと思いません。

「そっか…。それは大変だね…。よく頑張ってきたね…」

誰かと比べるなんて絶対しない。
自分がされたら嫌だし、その人が辛いと言うならそうなんだから。



しかし、途端に自分が当事者になってみれば


○闘病しながら子育てをしている人がいる

○早くにママが亡くなってパパ一人で育てている

○シングルマザーで子育てしている

○朝7:30に家を出て19時ギリギリに保育園にお迎えに行くフルタイムで子育てしている人がいる

○発達障害の子ども2~3人育てて頑張っている人がいる

○虐待を受けた傷がありながらも必死に子育てをしている人がいる


それに比べたら私は、まだ恵まれているんじゃない?


機能不全家族育ちだ、毒親育ちだ、なんて言ってても、一応住む家あってご飯食べてたんでしょ?


ADHDの子どもの癇癪や暴言暴力が苦しくたって、もっと障害の重い子を持つ親御さんの方が大変なんじゃない?


9ー17時で働いて育児をして時間がないって泣き言言ってるけど、もっと長い時間働いているお母さんもいるじゃないの。


自分が時間の使い方が下手なせいじゃない?
もっとやるべきことをキッチリ時間を決めて家事をこなせば、子育てと両立できるんじゃないの?


全て、私が私をイジメてきた言葉達です。


「そっか…。それは大変だね…。よく頑張ってきたね…」

誰かと比べるなんて絶対しない。
自分がされたら嫌だし、その人が辛いと言うならそうなんだから。

どうして、自分に対してはこういう優しい言葉を掛けてあげられないの?

どうして自分には厳しくしなきゃいけないの?


そう、比べられるのなんて嫌。
決めつけられたくなんかない。
“自分がされたら嫌だし”って書いてあるし。

でも、自分が自分を追い込んでいる。



もっと頑張らなきゃ。

私なんてまだまだだ。

何を甘えたことを言ってるんだ。

子どもの前では笑っているのが当然でしょ。

子どもをまた叱ってしまった、またやってしまった。

東大生の子どもを育てるお母さんは、もっと伸び伸び育ててたんでしょ?
私はどうしてできないの?



迷って迷って
追い込んで追い込んで
辛くなって辛くなって
爆発して、また落ち込んで。



負のループに自ら溺れるように身を擲っている



気づくのが遅かった。

『よそはよそ、うちはうち。』

よそはよそ、うちはうちの本当の意味

アダルトチルドレン 認知の歪み 自分責め べき思考

大阪では子どもが
「○○くんも□□のゲーム持ってるから買って!」
という言葉に親が返す代名詞
『よそはよそ、うちはうち!』



本当の意味というか
言葉の使いようというか、

本当に『よそはよそ、うちはうち』
なんだなぁと思います。


幸せの尺度も
辛さの尺度も
人それぞれであると。




私が辛いなら、辛いでいいやん。
人様は人様。私は私なんやから。



私の子どもより、重度の障がいがある子を持つ親の方がしんどいなんて、誰が決めた?

パートタイムの私より、フルタイムの正社員で働いている人がえらいって誰が決めた?

パートタイムの私が、宅食頼むのが贅沢なんて誰が決めた?





過去の私は他人を批判していた

私は、他人に対してはこんなこと思いません。


なんて書きましたが、10代~20代前半。
いや、長男という「喉から手が出るほど手に入れたかった幸せ(しかも子ども時代から思い描いてきた囚われのような物かもしれない)」存在を産むまでは、認知の歪みは大変強く、表面の自分と内面の自分があまりにも違いすぎて混乱状態でした。

“躾のなっていない子ども”や“子を持つ親”に対する『親の理想像』が強すぎる面もありました。


恐らく小学生のときに『反面教師』という言葉の意味を知り、自分の両親を見て強く決意したあの時から、歪み始めていたのではと思います。


私は不妊治療をして長男を授かったのですが、“結婚して長年子どもがいないことを他人からどう見られているか”ということが非常に怖かった、辛く苦しかったということもあります。


健康的な思考の女性は、「この人(ご主人)との赤ちゃんが欲しい」と願って妊娠するのかもしれません。

しかし、私はそんな思考はなくただ「赤ちゃんが欲しい」という囚われで望んでいるようにも思いました。

『べき思考』とは?


どうやら長年の私は
認知の歪みにより、『べき思考』に縛られていたらしい。


「他人に対して優しくある“べき”」

「自分より他人を想いやる“べき”」

「自分より大変な人を尊ぶ“べき”」

「自分はこの程度の事で音を上げる“べき”じゃない」


幼少期から、無意識的に私の中にあったもの。



人からは温和な印象を持たれやすい私ですが、

心の中の自分って、全然優しくないのに。
もっとどす黒いのに(笑)なんて思っていました。

厄介な『べき思考』


この「べき思考」の何がいけないのかというと

自分の本当の気持ちに向き合わないので、自分自身の中での整合性が取れずに心のバランスを崩しやすいことにあるようです。


自分責めパターンと
相手責めパターンがあり、

完璧主義的だったり、真面目な人ほど陥りやすいと言われてます。


私は前者の“自分責めパターン”ですね。

『誰かに迷惑を掛けること』に対する恐怖が強いので、自分の内側を責めることである意味防衛している感じです。


アダルトチルドレンの『完璧主義』的とは?

自分の意思よりも親の意向を汲み取ってきた子ども時代。

自分に自信を持つことができません。


自分を「ありのままでいい。」と思えない。


自信がない以上、「これでいい。」という確信が持てずに完璧主義になってしまいます。

そうすると、他の人から批判されることがとても(健康的な人の何十倍も)怖く感じます

完璧でない自分を認めることが出来ないから、他者からの批判が怖くなり、「ちゃんとした自分であろう」と、『完璧主義』を装うのです。

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いつから私の認知は歪んでしまったのか?


家庭が貧しいということもあり(金銭管理0の両親)、中学3年生の時、本気で高校に行かずに就職しようとしていました。


高校3年生の時、授業料がほぼ三年間払えていないと毎日事務員さんに呼び出されとうとう泣いてしまいました。


坂道がすごい道のりを約60分普通のママチャリで漕いで学校に通っていた三年間は、電動自転車の生徒を見て「親が買ってくれていいですね。」と皮肉めいたことを感じていました。

車の免許も、修学旅行のお金のことも、もちろん大学へ行く選択肢もありませんから、全て同様のことを考えていました。


「親がちゃんとしている所の家が羨ましい」


私が本気で何かしたいと思ったら、バイト代を注ぎ込んで大学に行く費用を貯めたかもしれないし、車の免許を取ろうとしたかもしれません。

(実際、バイクに憧れて中型バイクの免許を取ろうと申し込みまでしたのですが、父が倒れてしまい、自重してキャンセルしました)


ですが、当時の私は『何か夢を持つこと』自体が無謀だと感じていたので、

「親は子どものためにお金をだす“べき”」思考に陥っていました。


毎日の昼御飯代も、携帯料金も、雨の日の電車バス代も、週5日バイトをして

「なんで“親がやって当たり前のこと”を、自分で稼いで、自分で払っているんだろう」と虚しく思っていました。

私が両親との愛着が築けていないがために、親や自分の運命を責めるしかなかったのです。


そんな認知の歪みは、いずれ自分に跳ね返ります。

親を責めるのではなく自分を責めた


社会を出て周りを見渡してみれば、

奨学金を借りて大学を出た人。

バイト代を貯めて20歳越えてからでも車の免許を取った人。

何の文句を言わずに親の介護をしている人。

たくさんの人々がいます。

そうして親や家を責めていた自分が恥ずかしくなりました。



「自分が頑張っていたら良い人生歩めたんじゃない?」


自分が夢を諦めずにいたら、そのために計画的にお金を貯められたかもしれないのに。


結局自分のせいじゃないか。



実際、ヤフー知恵袋やネットの掲示板を見たら、悩んで困っている質問者に対して、厳しい言葉で一蹴しているのを目にする。



自分が悪いんだ。自分がしっかりしていないのがいけないんだ。

私もこの人たち(世の声だと思っていた)から、「お前の考えは甘え。もっと頑張って生きてる人なんてたくさんいる。」と言われて批判されるかもしれない。



私の認知の歪みはどんどん歪んで、苦しくなり、今に至ります。

ネットの口コミは世の声じゃない


私は、SNSや掲示板サイトを見ていられない時があります。

誰かの質問や想いに対して、厳しく批判する人がいると、質問者の方の想いと重なり、見ていると辛くなるからです。
(俯瞰的に批判自体を見ることはしますが、見ていると苦しくなります。)

なので、私はSNSが苦手でした。

今ではTwitterなんかも、誰かを痛烈に批判して槍玉に上げる光景を見ていると怖くなります。


しかし、それは“世の声”じゃなくて、“一部の声”であること。

強い言葉で批判している人達は質問者の人の抱える本当の背景を何も知らないこと。


そんな人達の言葉に、私はいちいち苦しまなくていいこと。


だって
自分は自分。
よそはよそ。


やっと今、知ることができました。



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人と人はお互いに迷惑を掛け合って生きている


子どもを育てないと気づけませんでした。


子育てをすると、嫌でも他人に迷惑を掛けなければなりません。

全部一人で背負いこんで、自分で解決なんてできません。


産科、小児科、眼科、耳鼻科、保育園、心理士、作業療法士、言語聴覚士、児童発達指導員、ずっと友人でいてくれる子達、それに夫。

もっと広く言えば、農業や畜産業、スーパーの店員や芸能人や歌手だって。


みんなの力を分け合って、今ここに生きているんだと、子どもでもわかるような当たり前のことを、子育てをしてから知りました。


さいごに

アダルトチルドレン 認知の歪み 自分責め べき思考

私がこれらに気付けたのも、このはてなブログで自己開示や分析を続けてきたおかげです。

ブログ開始当初は、子どもの悩みや知識を書いていこうかと思って、どんどん解き明かしてみたら、自身の根深い問題があれよあれよと出てくるではありませんか!

迷いは、自分の心からのメッセージだと思って、迷ったら「本当に自分に必要なことなのか」と自分の気持ちに向き合う機会にしましょう。

「こうあるべき」を手放せば、人生は楽になる | 自衛隊員も学ぶ!メンタルチューニング | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

お読みいただきありがとうございます。

多分、こういうことってカウンセラーの方に話をするか、自ら気づくかしなければ、他人に言われてもピンと来ないかもしれません。


しかし、どこかのどなたの、ふとした時の参考の一つになれば幸いです。


【関連著書】


【自己開示記事】
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