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【HSC/HSP】詳しく解説!あなたのその「見てると恥ずかしい」は共感性羞恥?観察者羞恥?我が家のHSC5歳児は激しく『いたたまれない』!

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共感性羞恥 共感的羞恥 観察者羞恥 HSP HSC 繊細さん

皆さん!
【共感性羞恥】という言葉を知っていますか?

HSS型HSCの長男が、この【共感性羞恥】が強いタイプでした。


□【共感性羞恥】とは?
□【観察者羞恥】とは?

心理学的に考えていきます。
□またその現象が出るとどう困るのか?
これは、私や長男の実体験から紐解いていきます。


共感性羞恥とは?

他人、またはドラマやアニメなどの登場人物が恥をさらしている場面で、見ている自分までが恥ずかしくなってしまう様子。

他人が怒られているシーン理不尽に責められているシーンも同様に共感してしまうこともあります。

自分が恥ずかしい思いをした時と脳の同じ部分が働き、「あたかも自分の失敗のように感じる」現象を言う。

共感性羞恥は『共感的羞恥』とも

一般的に広がっているのは【共感“性”羞恥】ですが、心理学の世界では【共感“的”羞恥】と言うようです。

共感性羞恥を持つ人々

【共感性羞恥】の言葉が広がったのは『マツコ&有吉の怒り新党』の数年前の放送であり、番組の統計で【共感性羞恥】を持つ人は人口全体の10%だとわかりました。

10人に1人は、この【共感性羞恥】を持つようです。


羞恥とは?

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恥ずかしさが起こる原理とは?

差恥は、他者から拒否されることへの警告信号としての機能をもつものとされ、個人 の理想、自己や道徳意識などに基づく社会的行動の制御と密接な関連のあることが指摘されている。

共感とは?

他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。
共感自体はほとんどの人間に備わった機能であり、人により強弱があります。

共感に必要な力とは?

共感には他者の視点に立つ視点取得能力や、他者の情動経験の種類や内容を読みとる能力他者と類似した情動経験をする能力が必要とされる

心理学研究2006年 第77巻 第2号pp.97-104 原
罪悪感,羞恥心と共感性の関係 有光興記 駒澤大学



あなたのそれは本当に共感性羞恥?

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実は……

共感的羞恥が共感性を媒介として発生するものかどうかまだ明らかではないようです。

これは、研究者の桑村幸恵氏が論じており、そこから「共感」という言葉を使わずに【観察者羞恥】として改めて研究したようです。

【観察者羞恥】は、自分自身の「恥ずかしい 」 と感じる基準によって発生することが示された。
自分自身の経験と結びつき、共感的に相手を見ることで、羞恥が発生していると考えられる。

観察者羞恥 と役割取得 ・ 共感的配慮 ・ 個人的苦痛 との 関連
桑村 幸恵(愛知学院大学大学院総合政 策研 究科)


要するに、「自分だったら(あなたの)その状況はすごく恥ずかしくなるのに…あー!恥ずかしい!!」というのを【観察者羞恥】として分類したようです。


「あなたが感じているであろうその“恥ずかしさ”が恥ずかしい!」という“共感”して感じるものが【共感性(的)羞恥】です。


言われてみれば、似て非なるものだと理解できます。

なので、共感性が特段に高くなくても起こり得る現象が【観察者羞恥】と言えます。


多くの人が感じる「人が失敗をしているのを見て恥ずかしい」現象というのは【観察者羞恥】だと思われます。


共感性羞恥が起こりやすい状況

共感的羞恥は心理的距離の近い者ほど感じやすいこと、個人の恥への感受性が強いほど、共感的羞恥を感じやすいことが明らかとなり、主体的羞恥と共感的羞恥は同じ感受性をベースとしていることが分かった。

パーソナリティ研究2009 第 17 巻 第 3 号 311–313
共感的羞恥と心理的距離 桑村幸恵(愛知学院大学大学院)


身近な人に対して特に強く共感的羞恥を感じてしまうようです。


さらに研究が進み、

観察者羞恥は心理的距離の近い行為者では、周りを気にするような喚起理由により生じ、心理的距離の遠い行為者では共感的な喚起理由により生じることが明らかとなった。

また、観察者羞恥場面においては、行為者が行為をコントロールできるものか、偶発的なものかによって喚起理由や喚起感情が異なることが明らかとなった。

観察者と行為者との関係性が観察者羞恥に与える影響
原奈津子(就実大学教育学部)

とあります。

状況や、観察者と行為者(失敗する人)の関係性によって観察者羞恥が変わるという、『心理的な距離』や『状況』に関する研究が進んでいるようです。





長男の【共感性羞恥】

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始まりはアンパンマンでした。
1歳後半~3歳近くまで、アンパンマンですら観ることができない子どもでした。

『ばいきんまんが悪いことをする』ことが嫌だったようです。

YouTubeのオモチャやぬいぐるみを使用した「ばいきんまんもアンパンマンもみんな仲良し」のような、しまじろうの世界のような、平和なお話が大好きでした。

  • 誰かがみんなに責められる
  • 理不尽な理由で責められる人がいる
  • 仲間外れにされる
  • 悪いことをして、次のシーンで必ず怒られる(ことが雰囲気でわかる)
  • 嘲笑·失笑される
  • 誰かがバカにされる

これらのシーンがあるアニメは観たがりません。


『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』はこの【共感性羞恥】のオンパレードです。(笑)
ドラえもんやしんちゃんは5歳頃から大好きなのですが、上記のようなシーンが強いものは、再度観たがりません。


~5歳までは、これらのシーンがあると、別の部屋に逃げていました
今ではリモコンで早送りなどをして飛ばしてしまいます

なので、一緒に(真剣に)見ていた私は「また!?」と思ってしまいます。

起承転結の『転結』までたどり着けないのです。



【観察者羞恥】は経験がなければ起こらない現象と言えます。

よって長男は純粋な【共感力】から【共感性羞恥】を感じているようです。

長男が【共感性羞恥】が起こった場面

数ヶ月前のクレヨンしんちゃんの話です。

風間くんの家に遊びにやってきたしんちゃん。
しんちゃんが帰ったあと、風間くんはベッドの裏の壁にラクガキがあることを見つけました。

「きっとアイツがやったんだ!」

次の日、幼稚園に行ってしんちゃんを責めました。
「オラはやってないゾ~」といつも通りのらりくらりのしんちゃんと、マサオくんが幼稚園終わりに風間くんの家に遊びに行きました。


壁のラクガキを消すまでなんやかんやありましたが、風間くんが強い力で壁紙をこすって汚れを落とそうとします。

壁紙は無惨にボロボロになり、「あー!」となっている所に、風間くんのママが現れました。


……とここで、長男はこの先が見れなくなるなるのです。

大人の私は早い段階で先の展開が読めていました。


しかし、長男は『この先怒られるんだ』という共感で頭はいっぱいです。

『怒られる自分』とリンクし、見ていられなくなる


対象者は風間くんです。


それが「間違った空想だとしても」共感せずにはいられないのです。

もしかしたら【観察者羞恥】ではなくて、純粋に【共感性羞恥】を持つ人は、もっと少ないのでは?と思います。





私が持つのは【観察者羞恥】だった

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  • やってみた動画
  • 新人お笑い芸人がスベる
  • ウェーイしてる人々
  • 若者の悪ノリ
  • 集団酔っぱらいのインタビュー(面白ければ良い)
  • 若作りの仕方が一昔前の人
  • マンガ作品の実写化(ファンタジーやギャグや外国人主人公の話など)
  • 文化祭の素人の漫才
  • パクりたい1-GP
  • 中二病


アイタタタ……が苦手で、チャンネルを変えたくなります。
中二病はある意味見ていたいと思いますが(笑)

「見ていたら恥ずかしい」これは、共感はしていません。

【共感性羞恥】でよく言われる『お笑い芸人がスベる』は、私の場合ですが「スベった本人に共感を媒介していない」為、正しくは【観察者羞恥】ではないかと思います。

【観察者羞恥】は「いたたまれない」に似ている?

いたたまれない
平静でいられず、その場に留まることができないような気持ちのこと。人に同情する気持ちや、自分が恥ずかしさを感じている時など。


「ドッキリ番組」が共感性羞恥(?)持ちの人の嫌な理由として、「ドッキリされてる人がみっともなく失敗して笑われること」と、とあるサイトにありましたが、私はそのような感情はなく、“いたたまれない”気持ちにはなりません。

観察者羞恥が起こるにはドッキリの内容にもよるなぁと思います。


一昔前のロンハーでよくやっていた、出川哲朗や狩野英孝が落とし穴にハマったり、50TAのライブのドッキリ等は、本人達は結果的に「騙された!」わけであり、これは『嫌なドッキリ』ではありません。

反対に(苦手なのであまり観たことはありませんが)、モニタリングのドッキリは『嫌なドッキリ』です。

対象者を「不安」や「緊張」で嫌な気持ちにさせて陥れてることが、“いたたまれない”から観たくないのです。


スカッとジャパンも同じ理由で観ることができません。
嫌な気持ちになる(演出の)過程が、心が掻き乱されるような気持ちになるので観ていられないです。

しかしこれは“羞恥”にはならないので、やはり私は長男のような純粋な【共感性羞恥】は持っていないことになります。

創作物相手ならば【共感性羞恥】かもしれない

ここからは自論ですが、


アニメやドラマだと「このあと恥ずかしいよ!」「このあと失敗して笑い者にされるよ!」という演出があります。

そして、「恥ずかしいよ…」「みんなに笑い者にされてしまった…」という演出があります。


その演出法(カメラワーク、役者本人、エキストラの表情、音声など)により『共感』を媒介しているはずなので、創作物に対するものは【共感性(的)羞恥】なのではないかと、私は思います。


反対に、行われている研究は実体験に基づくものばかりでした。

実体験(=現実世界)とは、
「行為者は、本当に“恥ずかしい”と感じているのだろうか?」と、正常に自他を分離出来ていて、目の前の状態を客観的に見る力がある人であれば、『共感』を媒介しないはずです。


かわいそうに…
大変だったろうに…
辛かったろうに…

これらはあくまでも『観察者』として見ての共感ですので、桑原幸恵氏が発表した【観察者羞恥】として呼ばれるものではないかと考えています。

養育環境の不全により、大人になっても境界線(バウンダリー)が薄く、客観的に物事を見ることができずに相手の感情を自分の感情のようにしてしまう人ならば、現実世界でも【共感性羞恥】が起こりうると思われます。

共感性羞恥も観察者羞恥も持たない主人なら

自分にしか興味がない主人(ESTP)に聞いてみました。

Q.「スベった芸人を見たらどう思うか?恥ずかしいと感じる?」

A.「思わない。なんでこのネタを持ってきたんだろうと思う」

Q.「見ていて恥ずかしいなぁと思うことってある?」

A.「ない。強いて言うならフラッシュモブくらい」

フラッシュモブは確かにと笑いました(笑)


また、桑村幸恵氏の研究にあった
『プールで恥ずかしい罰ゲームを受けてる友人を見たらどう思うか』の質問をしてみたら

「楽しそうだなと思う。尻文字とかおもろいやん」という返答がありました。
(笑いの基準も思考も私には理解できない)


共感性があまりない人だとは思ってましたが、本当に人ってそれぞれなんだなと改めて感じました。


まとめ

  • 共感性羞恥とは、自分が恥ずかしい思いをした時と脳の同じ部分が働き、「あたかも自分の失敗のように感じる」現象を言う
  • 【共感性羞恥】と【観察者羞恥】がある
  • 共感性羞恥は共感を必ずしも媒介しないために多くの場合は【観察者羞恥】の方が定義に合っている
  • 共感的羞恥または観察者羞恥は、身近な人により強く感じる
  • 創作物に対しては共感的羞恥。現実世界では主に観察者羞恥ではないか?
  • 共感的羞恥または観察者羞恥を持つ人は、共感性が高く感受性が豊かで、尚且つ自分に対する羞恥心も強い傾向

(失敗への恐怖が強いのでは?)


さいごに

サイトやYouTubeにあげられている【共感性羞恥】とは、本来心理学で研究されている【観察者羞恥】の意味合いの方が正しいことがわかりました。


長男のように「見ていられない!逃げたい!」感情を持つ人は本当に大変だと思います。
映画なんかも途中で観れなくなっちゃうんですよね。うちの長男がそうなので…。

恐らくこれも【境界線(バウンダリー)】の薄さが原因だと思われますので、良かったら下記記事もご覧になってください。

お読みいただきありがとうございます。

www.hattatsu-decoboco.com
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