完全(゜∀゜)復活しました!
これからブログ書きます。でもまだ忙しいので、焦らずスローペースでやっていきます*
今回は知らず知らずの内に過干渉になっていませんか?という記事内容になります。
子育てをする上で、知識を身につけることはいいことだと思います。
しかしそれが過剰過ぎると…?
過干渉×HSP(HSC)子育て
子どもの発達の勉強をする前に、“私の問題”を解決したいとずっと考えてきました。
今回は「子どもの自立を妨げている親の言葉」を考えたいと思います。
子どもが『自立する』とは?
社会の中で、自分の言動の結果を、誰かや何かのせいにしないで、自分の責任として受け止め、対処していけるようになるということです。
大門昌代著『子どもの自立を遅らせるひと言助けるひと言』より
子どもの自立を妨げる親
『子どもの自立を遅らせるひと言助けるひと言』
こちらの本をはじめは図書館で借りました。
古い本で、表紙もパッとしませんが、中身は見やすくて、とても為になる内容だったので後に購入しました。
今まで読んできた育児書には必ず書かれている「違う!」「ダメ!」と言ってはいけないということはもちろん書かれていますが、
直接的な「違う」「ダメ」ではなく、
その発言も間接的に否定してますよ。
と教えてくれたり、深層心理に隠された潜在意識に向き合わせてくれる、ハッとした著書でした。
間接的に否定している
小さい子が、おもちゃを片付けたときに片付け場所がいつもと違っていたから
「そこに片付けるんじゃないのよ。」と言った。
しかし、これは「違う!」と否定していることになり、子どもは否定されたと感じます。
うちの長男は赤ちゃんの頃から、
注意を否定と捉えて怒ったように泣き叫んでいます。
どうしてすぐに怒るの?とずっと考えていましたが、どうやら私の言葉がけが間違っていたのだと気づきました。
私(母親)は優しく言っているし、否定しているつもりもないし、ましてや“注意”とも思っていない。
ただ、“教えている”つもりなだけ。
しかし子どもからすると「そこじゃないよ」はれっきとした『否定』の言葉。
この言葉により子どもは、反抗したり、癇癪を起こしたり、怒って泣いて、やる気を失わせてしまっていたのでした。
やる気を失うこと=チャレンジの芽を摘んでしまうこと
これにより、自立心が養われないのだと気づいたのだった。
加えて「どうせ…」と自己肯定感も下がる。
子どもの視点から考える
私(親)からすると、決まっている片付け場所があるのに、それを間違ったと思うから「そうじゃないのよ」と言ってしまうのですが、言う前に一つ、ある考えを巡らせてみましょう。
「どうしてこの子は、いつもと違う場所に片付けたのだろう?何か考えがあったのかもしれない」
もしかしたら、子どもには子どもなりの考え方があったのかもしれません。
自分の考え方を否定されたように感じて、自分の行動に自信を無くなってしまうのです。
「どうして今日はそこに片付けたの?」と聞いてあげたら、子どもが何か理由を答えてくれるかもしれません。と本書には記載されています。
否定せずにやる気アップ
しかし、私(HSP)が子どもなら「どうして今日はそこに片付けたの?」なんて聞かれたら
「どうしてって…えーとそのー…あれ…間違えちゃったのかなぁ……なんかお母さん怒ってる気がする…ドキドキ」となっていると思います。
私のような敏感気質の子どもは、
「どうして」は「責められている」ように感じます。
なので、「さぁ!これは、どこに片付けると良いでしょうか!?①番…○○、②番△△…」とクイズ形式にして、本人に気づかせるように仕向けるのが一番の方法かと思います。
HSP(HSC)は敏感なので、大人のそういう言い回しでも本心を見抜いてしまうのですが、優しい子が多いのでノッてくれるでしょう(笑)
言われて嫌な気持ちにはならないはずです。
態度での否定
- 「はぁー」とため息をつく
- 顔をしかめる
- 黙っておもちゃの収納場所を親が変える
言葉以外にもこれだけで十分に「否定」と感じさせてしまいます。
HSP(HSC)は言葉がキツイのはもちろん嫌ですが、態度の否定は胸がギューッと締め付けられるくらい苦しくなり、言葉よりも想像を膨らませてしまいやすく、重く受け止めてしまいます。
子どもの自己主張を否定する
子どもがもし「○○君が嫌い」と言ってきたらどう返しますか?
「そんなこと言うもんじゃありません!」
なんて言われて育ってきた人って結構いるんじゃないのでしょうか?
誰かが嫌いだってことは、何か理由があるはず。
「友達を嫌いと言うなんて、友達付き合いが上手くいってないんじゃないかしら」
「友達に直接“嫌い”って言ったらどうしよう」と親が先回りして心配して不安になって、頭ごなしに否定してしまったら、子どもは親に相談しなくなったり、SOSが出せなくなるでしょう。
否定される経験が多いと「僕は(私は)否定される存在である」と学習していき、社会に出た時にも否定されるのだろうと考えてしまいます。
私が小学校低学年の時、急に母から「○○ちゃんとは遊ばないように」と言われました。
母親同士で何かあったようですが、私はとても悲しい思いをしました。
母には友達関係のことを言わなくなったし、反抗したい気持ちもありますが、元々頻繁に一緒に遊ぶような間柄ではなかったのですが、どうしても母の言葉が頭に引っ掛かり、何となく○○ちゃんとは疎遠になりました。
母が芸能人の△△が嫌いだと言ったから、私も何となく嫌いになったり、母親の言葉の影響力はかなり強いことを自覚しなければなりません。
「ほら、お母さんの言ったとおりにしないから!」
「ほら、お母さんの言ったとおりにしないから!」は、
「ほら、あなたはダメなのよ」と同意義となります。
お母さんの言うことが正しくて、子どもが言うこと、やることは間違っているということを子どもに伝えているわけですが、この言葉で証明できるのは、親自身が「正しい」ということだけです。
親が正しいということを証明するために、子どもに間違ってもらわなければいけないかはらある意味子どもが失敗することを喜んでいることになってしまいます。
子どもが失敗しなければ、親が正しいということを証明できなくなってしまうのです。
「ほらー!お母さんが言ったとおりにしないからー!」と言った時、内心ほくそ笑む自分自身が見えませんか?
子どもはそれを見抜いていて、「なにくそ!」と思う子もいるかもしれませんが、「お母さんなんか嬉しそう」と思って、同じ失敗を繰り返すような子もいます。
『親に愛されたい』子ども心が働いてしまうのです。
そして、失敗をし続けるために、学習をしない子どもになる可能性があります。
自分の失敗を反省して改善点などを見つけてしまったら次は成功してしまうから、学習しない。
自分で考える力を持たなくなると、「お母さんの言う通りにしていれば、すべてうまくいく」と親なしでは生きていけない子どもになってしまいます。
「ほら、お母さんの言ったとおりにしないから」は
「あなたは、自分の考えで行動してはいけないのよ」「あなたは学んではいけないのよ」と言っているのと同じことだと考えましょう。
自己承認欲求
◆この言葉に隠された潜在意識◆
私が正しいと証明して欲しい
親が潜在的に感じている
- 誰か私を認めて!褒めて!
- 誰か私を正しいと証明して!
という心の表れだと思いました。
私も気をつけよう…
「傘を持っていきなさい」
驚いたのはこの言葉です。
曇り空を見て親が子どもに言う
「傘を持っていきなさい。」
言い方の問題ではなく、「傘いるんじゃない?」や「傘どうぞ」だからいいというわけではないこの言葉の、どこが自立を妨げるひと言なんでしょうか?
小学校入学したてでもないある程度大きい子どもに対するこの言葉は、『自分で考え、自分で判断し経験することで学ぶこと』をしなくなってしまいます。
確かに、雨に降られて風邪を引くかもしれません。
でもその経験によって子どもは学びます。
もしかしたら誰かに「傘を貸して下さい」と言えるかもしれない。
もしかしたら誰かに「傘に入れて」と言えるかもしれない。
もしかしたら雨が止むまで雨宿りすることを選択するかもしれない。
「なるほど空の色が暗いときは、帰る頃には雨が降るかもしれないのだな」
「なるほど、天気予報は聞いておかないと雨に濡れてしまうことがあるのだな」
「なるほど、雨に濡れると風邪を引くのだな」
同じように
「寒くなるから上着を持っていきなさい」
「学校は△△へ進学しなさい」
先回りしてどんどん指示をしてしまっているかも…?
その後「友達」「進学」「付き合う人」にまで発展してしまうかもしれない。
こうなると、親が子どもの人生を決めてしまうことになりかねません。
困ったときの対処方法的も、全く身につきません。
なぜなら親が困らないように先回りしているからです。
親が子どもに理想を押し付けている
◆この言葉に隠された潜在意識◆
私の思うとおりの人生を歩んで欲しい
そこまで大それたことは思ってはないけれど、
- 素直な子になって欲しい
- 優しい子でいて欲しい
- モテる子になって欲しい
- 友達たくさんできて欲しい
大なり小なり親が子どもに理想を持っていると思います。
自分があって良かったから子どもにも持って欲しい?
自分にないものを子どもに持って欲しい?
しかしそれは“理想の押し付け”にはならないのだろうか?
私(親)は私であって、子どもは子どもである。
それぞれ違う“個体”なんだから、違う生き方をしたっていいんじゃないか?
とは言っても親は親で心配で不安なのである
私の正直な気持ちです。
風邪を引かれたら、仕事休まなくちゃいけないじゃない!
そうです。自分のことしか考えてません。
子どもの風邪なんて慣れたものですが、仕事で休むことは、いつまで経っても慣れません。
周りに気を遣います。そして疲れます。
そんな先々まで心配して先回りな考えをしてしまうのが私という人間。
でも、それが子どもの人生の自立を妨げているのならば、そんな先回り思考を止める覚悟を持つのも親の役目なのだろうか。
さいごに
子どもの自立を促す育児が最近の主流ですが、親が子どもにかける言葉の面でのアプローチ方法が記載されている本は少ない印象です。
INFPでありHSPな私はどうしても“先回り”な思考をしがち…。
子どもを見守る覚悟を持つのも大変です。
サポートがあまり必要ない程度の発達凸凹っ子ならば、親のこういう関わり方を見直すだけで上手くいくことも多いかもしれません。
お読みいただきありがとうございます!