HSP母である私は、HSS型HSC息子を育てています。
今回はHSP関連書物等に書いてある
『物事の本質を見抜く力』
私が持つ「物事の本質を見抜く力」と、長男の持つ「物事の本質を捉える力」について考察しました。
- 直観力と物事の本質を見抜く力
- 物事の本質を見抜く=『洞察力』
- HSC/HSPは『物事の本質を見抜く力』が高い
- ブログを通して長男を研究してきた
- 『物事の本質を捉える力』が赤ちゃんの頃から備わっている長男
- お世辞や嘘の「褒め」はいらない
- 『物事の本質を捉える力』はいずれ『物事の本質を見抜く力』に
直観力と物事の本質を見抜く力
以前、HSPが持つ『直観力』の話をしました。
www.hattatsu-decoboco.com
『直観力』も『物事の本質を見抜く力』も、ふわふわしていて目に見えない話なのでわかりにくいですが、似て非なるものです。
物事の本質を見抜く=『洞察力』
洞察
物事を観察して、その本質や、奥底にあるものを見抜くこと。
goo辞書より
洞察力は、じっくり観察してから本質(目に見えない物)を見抜く力。
直観力は、無意識下で判断する能力。
観察力は、目に見える物を観察する力。
HSC/HSPは『物事の本質を見抜く力』が高い
HSPは洞察力が高くて物事の本質や真実に対してアンテナが高い人が多いです。
細かい所までよく見る“観察力”
- ○○ちゃん髪切ったんだな
- この場所に○○があったはずなのに無い
- いつもより顔色が悪いな
物事の本質を見抜く“洞察力”
- いつもより笑顔が少ない気がするけど体調悪いのかな
- ○○してる時の人間の心理って△△なんだよな
- 怒ってるけど内面は悲しい感情が見える
観察力があってこその洞察力。
観察力があっても洞察力まで備わっているわけではない。
趣味に「人間観察」という子がいたとします。
「○○ちゃんと◎◎ちゃんは仲悪そう」
で終わるのが「人間観察」
「○○ちゃんの○○な所が、◎◎ちゃんが苦手な所なんだろうな」まで考えるのが『洞察力』だと考えました。
ブログを通して長男を研究してきた
このブログで何度も何度も長男の“困った”や“育てにくさ”について触れてきました。
しかし私は毎回その“本質”に注目してきました。
そうすることで、私自身も楽になれるからです。
- “感情の昂り”や“過刺激下での多動·衝動”はADHD由来なのか?HSS型HSC由来なのか?
- “頻繁な癇癪の一つの原因は、元々持っている気質に「赤ちゃん返り」が乗っかっているだけ”ということを考えてみた
- 赤ちゃんの頃から永く睡眠問題があったけど、原因は脳からかもしれないと考えた
様々なことに「長男の“真実”を理解したい」という気持ちから、観察·分析·研究をしてきました。
そこでたどり着いたのが、何となく数年前からぼんやりと考えていた“ある事”が明確化してきました。
『物事の本質を捉える力』が赤ちゃんの頃から備わっている長男
赤ちゃんの頃から“自我の塊”だった長男。
0歳の頃から私が感じていた
何がそんなに不安で、何がそんなに悲しくて、何でそんなにいつも怒っていて、何がそんなにこだわりが強くて頑固なのか、何がそんなに自分で全てやりたがって、何で永年イヤイヤ期なのか。
癇癪の原因の一つは、私の言葉がけが原因だったのがこちらの記事。
片付け場所が違っていたから「そこじゃないよ」と親が言ったら、子どもはそれを『間接的な否定』と捉えるという記事でした。
「否定されること」は人間みんな嫌なんだ
赤ちゃんの頃から「否定されること」が怖くて怖くて、『×』や『不正解音』や『クイズ』『勝ち負け』を泣いて怒って非常に嫌がる子でした。
その“本質”はやはり「否定」が怖いということ。
人間みな「否定」されることは怖い。
相手はそう思ってなくとも、言われた本人は、なんだか「自分自身を否定」されたように感じてしまう。
だから『不正解音』を聞くと耳を塞いで泣く。
「(良かれと思ってした/危険だと思ったからした)優しい注意」でさえも、『否定』と捉えてしまう。
「保育園は先生が怒るから嫌だ」と感情を爆発させて毎日毎日保育園へ行き渋る息子は、人間の本質を教えてくれているのだという視点で考えてみた。
「間違うこと」も怖い
「否定」も怖いが「間違うこと」も非常に嫌がる。
4歳の時、「これは窓?」と聞かれたので
「これはドアといって、人が出入りする所だよ」と言っただけで、泣いて怒るんです…。
もうこの時点で私は「違うよ」という彼のNGワードは使わない生活をしていました。
それでも、勘の鋭さで「間違いを訂正された」とすぐに気がつき、勝手に傷ついて癇癪を起こします。
失敗恐怖症という病名もあるようです。
この“本質”も
「完璧主義から来る“間違うこと”への恐怖」
私も、そういう傾向があるのでよくわかります。
「間違えるのが恥ずかしい」タイプの性格を変える方法とは? | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン
このコラムがわかりやすくて、意識を変えたくなりました。
もしかしたら、私がそういう性格を持っているのも、長男にそういう気持ちを起こさせる“本質”的な原因かも…?
「自分で決めたい」のは人間の本能
生まれながらにして「自分で決められない子ども」はいないと思う。
でなければイヤイヤ期なんて訪れない。
子どもは『選択肢』が大好き。
自分でやるの!という2歳前後で表れるイヤイヤ期はまさに「自分で決めたい」心の表れ。
もしも「わかんないからお母さんが決めて…」と言うように育っていたとしたら、どこかで掛ける言葉を間違っていたかもしれない。
長男は、私のつい言っちゃう「先回り思考」の発言が気に入らないから、泣いて怒るのだ。
だって、本質にあるのは「自分で責任を持って決めたい」という人間の心理。
「自分で決めたことだから」と言って後悔しない選択を迫られてきた大人達。
子どもだってその本質の「自分で決めたことだから」をやりたいのだ。
大人からの「指示を嫌がる」“本質”はここにあるのだ。
「モンテッソーリ流子育て」に代表されるように、日常生活に取り入れてはいるが、まだまだ足りないのかもしれない。
休日の家族のスケジュールは子どもに決めさせると、非認知能力が高い子どもに育つらしい。
それを本能的に知っているから泣いて教えてくれているのだと思っている。
お世辞や嘘の「褒め」はいらない
HSPは「お世辞を見抜く」という特性を持つことをよく言われます。
私も、お世辞が苦手で、相手の気持ちの奥を見抜こうとする癖があります。
自身で言うにしても心から言えないので、褒め方が下手だと思っています。
自分の本心に無いことを上手く言えないので、人間社会を生きづらいのです。
最近の育児の主流の『褒める育児』
さっそく長男が小さい頃から取り入れて、バンバン言ってます。
そう、お世辞が苦手で嘘をつけない私が。
そうするとどうでしょう。
長男は泣くのです。2歳後半頃から4歳前頃までだったかな?
私が「○○してくれると助かるなぁ」と言って、それを長男がしてくれたとします。
「うわー!ありがとう!助かった!お母さんめっちゃ嬉しいわー!」
一応棒読みではありません。
しかしこう言うと長男はへの字口で、泣きそうな声で地面に突っ伏してこう言うのです。
「いち(長男)、かなちぃ…」
えっ?
となりませんか?
「すごーい!お片付け上手!素敵!素晴らしい!」という語彙力ないですが大袈裟に褒めたとします。
「ちゅごくないもん…いち、かなちぃ…」と言って倒れ込んでしくしく泣きます。
めんどくさい子でしょう?(笑)
他にも「かなちぃ…」のパターンは、
目を閉じて天を仰いで口をへの字にして脱力するパターンや、本当に泣き出すパターン等があります。
これを1日何十回と言う日が続くこともありました。
大きくなると
「そんなこと言われても嬉しくないわ!」とムスッとした表情で返してきます。
これの“本質”は
「もっと心から、本気で、“褒めて”!“認めて”よ!」
私の言葉は「上辺だけの言葉」だと汲み取っているようです。
でもでも…難しいんだよー!
【追記】
時間が経ち、
HSCであり『直感力』が高い長男には
“適した言葉”を使わなければならない理由がようやく判明しました!
www.hattatsu-decoboco.com
「俺のことをちゃんと心配してよ」
最近のことです。
長男が「痛~い!」と言って、本当に痛そうなケガをしたように見えました。
咄嗟に「大丈夫!?痛い?どこが痛い??」と必死に聞くと、長男は満面の笑みになりました。
最近は大きくなったこともあり、長男が「痛~い」と言っても、私は声色や表情で私は勝手に判断して「あぁ、痛かったねー?大丈夫ー?ヨシヨシ」と、“一応”共感して“一応”ヨシヨシしてあげてばかりでした。
次男は長男に突き飛ばされて後頭部をよく打ちます。
「まだ2歳にならない赤ちゃんだから、身体の丈夫さは5歳と比べ物にならない」と潜在意識が働き、次男に対しては過剰に心配します。
私のそんな姿を見る度に
「俺もケガしたい…!」と泣き顔になります。
次男が爪が剥がれても、後頭部を強く打っても、電池を誤飲しても、「俺も同じケガしたい…」と泣きます。
この“本質”は「お母さんはいつも“本気”で俺を心配していない」です。
私の一つ一つの言動や態度が、長男の心を傷つけて、怒りやすい子にしていたことに気がつきました。
『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』というアニメで、物語の佳境で主人公が「俺は…“本物”が欲しい…」と泣くシーンがありました。
いつも穿った見方しかできない子は、心の奥底ではいつも“本物”を求めているのだと。
『物事の本質を捉える力』はいずれ『物事の本質を見抜く力』に
長男はまだ、『物事の本質を捉える力』という本能的な部分で、泣いて怒って癇癪起こしています。
それは、刺激に圧倒されやすく、感情を抑制する機能が人よりも弱いから。
しかし、“物事の本質”を生まれながらに知っていて、大木のように折れない心を持って私に教えてくれているのだから、いつか花が咲いて『物事の本質を“見抜く”力』になるだろうと思っています。
子育ての何かのヒントに、参考になりましたら幸いです。
関連著書
関連記事
www.hattatsu-decoboco.com
www.hattatsu-decoboco.com
www.hattatsu-decoboco.com